良心との対話

良心との対話を考えてみましょう。まず良心は生心が主体、肉心が対象の状態の時にうまれる状態です。この良心の主体が神様です。

そう考えるとこの良心との対話は、神様との授受作用と考えることもできますね。この授受作用は段階があると思います。色々と考えられますが、人間的な言い方をすれば「神様とメールでやりとり」「神様と電話でやりとり」「神様とスカイプでやりとり」「神様と出会ってやりとり」等・・・私の良心基準によってその段階は違ってくるのでしょう。(図48)

この良心がどんどん成長し本心基準になれば、主体が対象に対象が主体の位置になるので神様が私の生心に臨在される状態になり、まさに神様と私が一体化する状態と言えるのではないでしょうか。(図47)

この様に考えれば次のTPのみ言も更によく理解できるのではないでしょうか?

 

み言

 

後天時代と真の愛の絶対価値

良心と一緒に楽しむ時間をたくさんもたなければなりません。世間的な目で見れば、孤独で寂しい立場になっても、良心と不可分の関係を結び、最も親しい友人になってみなさい。自分の心と体の和合統一はもちろん、広大な新しい天下を見渡せる世界が発見されるはずです。

心身一体の境地に行けば、良心と肉身が共鳴圏に立つようになるのです。釈迦牟尼の「天上天下唯我独尊」という叫びも、このような次元の心の世界において初めて理解できるのです。

心に尋ねれば、神様が自分の心の中に入ってきていらっしゃるのか、いらっしゃらないのかを教えてくれるのです。心を通して万物万象と自由に対話をし、和動する境地に到達するのです。さらに、霊界とも自由自在に交流し、皆様の永生問題に対して、徹底した準備ができる生活を送るようになるはずです。

 

 天聖経  真の人間 

祈るときは、心に対して祈らなければなりません。いつでも心を見つめて尋ねなさいというのです。父母に尋ねる代わりに、永遠の良心に尋ねてみなさいというのです。

 

真の自分を探しましょう

それで、良心を神様のように絶対信仰しながら、一つにさせる道が修養の一番近道です。祈祷する時も、良心に向けて話しをするのです。・・・良心と自分と話し合うのです。そうすると良心が、第一の神様の基準に立つようになるのです。

図48

図47



生心を主体に祈る

神様を生心にお迎えするためには、生心を成長させてないといけません。「生素」が生心を成長させる要素です。生素は簡単に言えば神様の愛です。神様の愛はどこにあるか、家族、被造万物世界、人との関係の中にあります。すなわちそこら中に神様の愛があるわけです、ではその神様の愛を感じる感性を磨くにはどうすればいいでしょうか?以前の講座にもありましたが、み言の訓読と実践で磨かれます。そして祈ることです。(図48)生心を意識して祈り、問いかけたら答えを感じる、そういうお祈りをしてみましょう。生心を主体にした状態で次の文章を唱えてみましょう。きっと神様が応えて下さいます。

 

嫌な気持ち、恐れ、葛藤があったならば、以下のように良心に祈りましょう。(図49)

 

神様、真の愛を中心として、

正しく見させてください。

正しく聞かせてください。

正しく考えさせてください。

正しく表現させてください。

正しく行動させてください。

神様、すべてをあなたに委ねます。

どうか私を通してあなたが導いてください。

  

図48

図49