人間は堕落したために、生心と肉心の本来の関係を維持することができなくなってしまいました。対象であるべき肉心が主体の立場に立ち、主体であるべき生心が対象の立場に立ってしまったのです。そのために衣食住の生活が目的となってしまい、価値生活は衣食住のための手段となり、二次的なものとなってしまったのです。すなわち、人を愛することや真善美の行為が、富を得るとか地位を得るなどの目的のためになされるようになったのです。
肉心が主体になると、肉心が司っている「生存・繁殖・保護」などの過剰反応が起こります。生存においては「認められなければ生きていけな」、繁殖においては「もっともっと頑張らなければならない」、保護に置いては「自分の立場や位置を守ることにやっきになる」などの過剰反応が起こります。これを「肉心のアレルギー反応」と表現しましょう。(表現が正しいかどうがわかりませんが…)
この「肉心のアレルギー反応」から不安・恐れ・心配が起こります。これらが大きくなると「妄想」が起こり、更に不安・恐れ・心配が大きくなります。そしてこの状態から脱却するために嫌な思いや、怒りが生まれそれが起こる関係性を破壊するようになります。(夫婦間、上司と部下間など)ですから肉心のアレルギー反応は本人を「守る」反応なわけですがそれが過剰すぎるということです。不安・恐れ・心配は自己防衛の手段です。ですからこれらを無くすことはできません。ただ過剰なだけなのです。 この肉心をいかに主管し生心を主体の状態に、こころをキープすることが出来るかが重要なのです。
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