※下記の内容は「こころのナビゲーション講座」を外向けに紹介したものです。よって言葉の一部が原理用語と異なって書かれているところがありますので、ご了承下さい。

 

【記憶の記録】

 

内容は私の勝手な解釈によるもので、なんら医学的根拠、科学的根拠があるものではありません。ご了承くださりながらお読み下さい。

 

 人間の身体には動物の本能の様な心があります。身体の機能を円満に作用させるところです。それは脳ではないかと思われるかも知れませんが、脳を含めた各臓器に働くシステムの様なものです。この身体の心は、私の身体の生存や繁殖、そして保護などを司ってくれます。簡単に言えば私の身体を守ってくれるシステムだと言えば分かり易いでしょうか。例えば心臓は意識しなくとも一定の間隔で鼓動します、これは心臓にペースメーカーの様な働きをする細胞があるからです。この細胞をその様に動かしめているシステム。また、少し前になりますがNHKで「人体」という番組がシリーズで放映されていました。番組内容の中に、各臓器同士がコミュニケーションをとっていて、「伝達物質」というものを出し合っているというのがありました。人間のコミュニケーションも何か共通の軸がないと成り立たないように、この臓器同士を一つに関連させているシステムがあるのです。これらのシステムを「身体心」(肉心)と表現しましょう。

 また、人間にはもっと中心的な心もあります。それは俗にいう「魂」(生心)というものです。人間はこの「魂」(生心)と「身体心」(肉心)の関連の中で一般的にいうところの「心」を形成しています。魂(生心)は「愛」や「他の為に何かできないか」などを求め、身体心(肉心)はその人、個人を保護するように働きます。景色のいい山の上など、高いところに上ると空を飛びたくなる思いになることもありますが、実際には飛ばないですよね、それは「身体心」(肉心)が肉体を保護するためにストップをかけるからです。暗いところも「身体心」(肉心)が危ないかもしれないと、ブレーキをかけてくれるのです。この二つの関係は、魂(生心)が上位で身体心(肉心)が下位のときに正常な状態の心として現れますが、身体心(肉心)が上位になると心のバランスが崩れてしまいます。

 

 身体心(肉心)は日常に起こる様々な出来事を肉体の中に「記録」していきます。「このような状況になったとき、この人は悲しんだ」「親にこのように言われたとき、この人は辛くなった」などなど、私が悲しくなったり、辛くなったりするときデーターを肉体に蓄積していきます。もちろん楽しくなったり、嬉しくなったりするデーターも蓄積されます。人生の中で過去経験したと同じような環境に出くわしたとき、このデーターが呼び出され、悲しくならないように、辛くならないように、「不安」「恐れ」「心配」などの思いを持たせて、この環境から回避するように働きます。最終的には「怒り」に発展し、関係性が崩壊する場合もあります。このシステムは私自身が意識しなくとも自動的に働きます。

 私たちが日ごろ不安になったり、恐ろしくなったり、心配するのはこの身体心(肉心)が働いて、私たちを守ってくれているのです。ただ、身体心(肉心)が上位になると過剰に反応してしまう場合があるのです。例えていうなら「身体心(肉心)のアレルギー反応」でしょうか。守ろうとして働くけれども過剰すぎて、逆に私たち自身を痛めてしまうことになってしまうのです。「不安」「恐れ」「心配」などは私を守るためのものなので消し去ることはできません。しかし、過剰に働くと害となってしまいます。

 

 ここで私の体験をお話しします。私は、人の上に立って何かをするというよりは、二の位置で誰かを支えるという方が向いていると思っていますし、そのように生きてきました。変な言い方をすると、「影の存在」に意義を感じてきました。さらに、自慢話をする人、空気を読めない人、気遣いできない人に対しては、自分でも不思議なほど毛嫌いしてきました。私自身、男性であるので多少のプライドもあり、自慢話もしたい思いもあるのですが、そのようにできない自分がいました。

 

 人生のレベルアップをするとき、今までの自分でない自分を発見し、新しいことにチャレンジすることが重要です。私もそのような時期がありました。自分の性格を変え、新しいことにチャレンジしようと決意しました。そのときネックになったのが先にあげた「二の位置依存」です。これを克服しないと先に進めない感じがしました。幸いにも仕事柄、「心の仕組み」などを勉強する機会に恵まれていましたので、この「二の位置依存」も何か、「身体心(肉心)のアレルギー反応」ではないか、肉体に記録されたシステムが働いているのではないかと思いました。瞑想などの技法を使いながら、身体心(肉心)に尋ねるようにその記録を探ってみました。少し複雑になるのですが、魂(生心)を意識しながら身体心(肉心)と対話するようなイメージです。

 

 まず、過去にあった嫌な思いをした人や環境を思い出します。すると身体心(肉心)は「嫌な感覚」を出してきます。心拍数が上がったり、イライラしたりします。そのとき魂(生心)を意識して、「あなたは(身体心)はいま、嫌な思いをしていますね。イライラしていますね。」と身体心(肉心)に問いかけます。少し返事を待ちます。「そうだ」という返答が返ってくることもあれば何も反応がない場合もありますが、どちらにせよ続けて「私を守るために、嫌な思い、イライラしてくださっているのですね。ありがとうございます。」と言います。「そのイライラはどんな形をしていますか。」返事を待ちます。具体的な形が出てくる場合もあれば、何も反応がない場合もあります。「大きさは?」「温度は?」「肉体のどの辺りに記録されていますか?」と問い続けていきます。すると突然、過去にあった出来事が思い出されることがあるのです。すなわち、そのような嫌な思いをするきっかけになった出来事です。

 

 私の場合は、小学校4年生の時の出来事が思い出されました。運動会の種目に「クラス対抗リレー」という花形プログラムがありました。その選手を決めるときの出来事です。担任の先生が「このクラスで一番早い男女を一人ずつ選手として送りましょう。」と言われ、放課後クラス全員で競争することになりました。男女別々、小グループに分けて、予選、準決勝、決勝と進めていきました。私は決勝まで残りました。最後は一対一の勝負です。渾身の力を出して走りました。その結果、僅差で私が一番になったのです。「やった!リレーの選手だ!」と大いに喜びました。周りの友達も「おめでとう、よかったね」と言ってくれました。その時です、担任の先生が「いまのはフライングかな」と私のスタートが早かったのではないかと指摘されたのです。結果2番目の子がリレー選手に選ばれました。この記憶が思い出されたのです。

 

 この記憶の記録を分析してみると、あのとき私の身体心(肉心)が「人前で喜んではいけない、人に褒められてはいけない、自分が恥ずかしくなり傷ついてしまう。」と肉体に記録していたのです。私を守るために。その結果人生の中で、人前に出るような場面や、人に褒められるような場面に出くわしたとき、身体心(肉心)がこの記録を呼びだし、傷つかないようにその場を辞退したり、異常に謙遜させたり、陰に隠れたりするようにしていたのです。この記録が消えない限りは、私は変わる事ができないのです。

 

 このような事が発見されたならどうするか。記録を消せばいいのです。魂(生心)を意識して、身体心(肉心)に「ありがとうございます。私を守るために長い間記録し、様々な場面で助けてくれていたのですね。でも、もうその記録は必要ではないので消去しても大丈夫です。」このように肉体に記録されている、具体的なデーターを消去するのです。一回で消去される場合もありますが、二度、三度やらないと消去されない場合もあります。

 

 私たちの肉体には様々な記憶の記録がされています。特に幼少の頃の親子関係で経験した内容は鮮明に、深く記録されています。「三つ子の魂百までも」という諺がありますが、真実を言い当てています。具体的に残っているのです。先の私の思い出もさらに深く突き詰めていくと、「私と父親」との関係に行きつきます。親子関係は私たちの人生に大きく影響しています。

 

 人生のレベルアップをしたいとき、今日紹介した内容も参考にしていただければと思います。皆様の人生やご家庭が輝きあふれるものとなりますようお祈りしています。