アダム家庭に見るサタンの侵入経路

アダム家庭においてまず考えてみたいのが、間接的であるとはいえ、真の愛で愛されていたアダムエバがなぜ堕落してしまったのでしょうか?心理学的な観点で言えば、しっかりと親からの愛を受けて育った子供は、親との間に深い絆が形成されるはずですが、アダムエバと神様との関係はそうではなかったようです。李相軒先生が霊界から送ってこられたメッセージ本「人類の犯罪者ルーシェル」の中にこのような記述があります。「ルーシェルは、あたかも自分が彼らの親であるかのように行動しながら、神様の視線を避けつつ、自分が彼らの主人のごとく振る舞いました。そしてアダムとエバを手の内に入れて、アダム・エバと神様の関係を次第に疎遠にさせていきました。ルーシェルは神様の視線から次第に離れて、主人のように、王のように、父母のように振る舞いながら、エバを誘惑し始めました。」この記述を見るとアダムエバがまだ幼少の頃から、「神様が親である」ことを教育するどころか自分が親だと信じ込ませるようにルーシェルが行動していたように伺えます。

 

聖書の失楽園のところでルーシェルがエバにこのような内容の問いかけをします「・・・ほんとうに神が言われたのですか」それに対してエバは「・・・死んではいけないからと、神は言われました」この時ルーシェルは神様の心とエバの心にずれがあることを確認します。聖書には記載されていませんがルーシェルは続いて「神様はそのように言われたかもしれないけれども、エバ、あなたはどう思うのですか?」と問いただしたのではないかと思います。エバはこの時自分の考えを持ってしまっていたのでしょう、それをルーシェルは逃さなかった。エバは「私は食べてみたい」と表現したのでないかと思います。神様とエバの心のズレがあったのです。エバと神様の親子の関係が崩れてしまいました。(図①)

その後アダムを堕落させ偽りの夫婦となります(図②)、それによってアダムと神様との親子の関係が崩されます(図③)

カインとアベルが信仰基台、実体基台を立てようとしますが、カインの憤り、「アベルを殺してしまいたい」という殺気を母親であるエバは気づかず、(図④)カインも父アダムとの間の仲保者にならなければならない母親の協助も受けらないので、父アダムにも相談できず(図⑤)、結局カインがアベルを殺害するまで(図⑥)だれもカインの心を知るものがいなかったのです。知っていたのは神様とサタンでした。特にサタンは自分と同じような思いなっているカインに我が子のように接したでしょう。一つとなれなかったアベルとカインに神様は接触することができなかったのです。(図⑦)

このように見てみるとサタンの侵入経路は①神様とエバの関係を破壊し、②アダムとエバの関係を破壊し、③アダムと子の関係を破壊していったのが分かります。

図1

図2

図3

図4


図5

図6

図7

図8



ノア家庭に見るサタンの侵入経路

ノアは120年間たった一回の神様からの啓示を絶対信仰で守り抜き、箱舟建造を成し遂げました。この時ノアの妻は神様の摂理が分からず夫であるノアに対して協助することができませんでした。またノア家庭の生活を考えてみると、大黒柱であるノアが箱舟建造でいない間、妻が子供たちを養い育てていたであろうことは想像できます。その結果、妻は子供たちだけが頼りとなりお互いに依存関係を築いていたかもしれません。それゆえ、子供たちは父のことを尊敬できなかったのではないかと思われます。洪水審判の結果一時は父ノアに対して信頼感を持つことができましたが、「裸の摂理」の時は日ごろの母と子の関係が強くでて、父に対して軽蔑する思いになり「これには深い意味がある」とは考えることができなかったのではなかったでしょうか。「ピン!」とこなかった。(図9)

我々においても信仰生活の節目で神様とサタンの「試験」のようなものがありますが、日ごろの信仰生活によってその場面で「ピン!」とくるのかそうでないかが決定されます。家庭においては妻、母がそのことに対して大きな役割を果たします。特に男の子の場合、母親がどのように父親を明かすかによって、子供の社会生活における「試験」の時、ひっかけ問題にひっかかるかそうでないかが決定されるのです。このノア家庭においても神様と妻の間にサタンが侵入し、夫婦関係を崩し、最終父と子の関係が築かれなくなっています。(図10)

図9

図10



アブラハム家庭に見るサタンの侵入経路

アブラハムは三種の供え物でサタンの侵入をゆるし失敗してしまいます。その後「イサク献祭」を通して失敗しなかった立場に立ち摂理がイサクに移行されます。この内容を考えてみましょう。講座6の「イサク献祭から見た生心と肉心」のところで記述しているようにこの3日間はサタンがアブラハムの肉心に不安恐れ心配を抱くように語りかけ誘惑があったと思いますが、アブラハムは神様の心情に触れそれを打ち払います。(イサク献祭の勝利から逆に考えると)サラも神様の心情をよく理解していた女性だったと思われますので、アブラハムの告白(イサク献祭)を悲しいながらも受け止めたことが分かります。我が子を亡くす悲しみより、神様を優先した女性でした。当然夫のアブラハムを責めることもなく逆にそうせねばならない夫の気持ちを理解していたように思われます。また、母サラは子イサクに対して父を絶対視するように幼少のころから育てていたはずです。なのでイサクは自分の肉身の死より父アブラハムの言葉を優先し、神様の心情まで通じていたので、イサク献祭を勝利することができたのだと考えられます。このようにサラと神様の関係が崩れなかったのでサタンが侵入することができず、神様がイサクに直接働きかける事ができたのだと理解することができます。



イサク家庭に見るサタンの侵入経路

イサク家庭の四位基台は今までの内容を踏まえて逆に考えてみたいと思います。エソウとヤコブが最終的に一体化しますが、その前に父イサクとヤコブの一体化があったと思います。聖書には父イサクはエソウを愛したと書かれており、最初父イサクはエソウを祝福しようと思っていました。この時リベカの気転により騙したかたちにはなりましたが、父イサクからヤコブは祝福を受けます。聖書を見ると「声はヤコブだが手はエソウの手だ」などイサクはヤコブを何度も疑っていたことが伺えます。騙されるていると知っていたのにヤコブを祝福したと考えられます。なぜそうしたのか、あくまで憶測ですが、ヤコブが裏庭にヤギを取りに行っている時に、妻リベカから神の御心、すなわち祝福はヤコブに与えるものである事を聞いたのではないかと思われます。妻の助言に耳を傾ける夫。夫婦仲がとてもよかったのではないか。なぜそう言えるのかですが、イサクがエソウを呼んで祝福の内容を伝えた時、リベカは偶然聞いていたのでしょうか?イサクとリベカは日頃から、夫婦の会話があり夫イサクから「そろそろ兄エソウを祝福しようと思う」という情報を聞いていたのでイサクがエソウを呼んだときリベカは「ピン!」ときたのではないかと思うのです。

リベカは妊娠中からお腹の中の双子の子供がどうすればいいのかを知らされていました。結果このイサク家庭においては、リベカの神様に対する絶対信仰と夫に対する内助の功、子供に対する母子協助(エソウに対しても)ができたので最終エソウとヤコブの一体化の勝利がなされたのだと結論づけることができます。