神様について考えてみます。

幸せという観点から「神様」を考えてみましょう。

人は幸せを求めて生きています。

生まれたばかりの赤ちゃんも「幸せ」を求めています。

なぜ分かるか。赤ちゃんも笑いますね。

人は自分の欲望が満たされた時嬉しくなって「笑う」んですね。

赤ちゃんが笑うという事は「自分の欲望」が満たされたという事です。

赤ちゃんは極端に言えば「幸せ」を求めているという事ですね。

ではなぜ赤ちゃんは生まれながらにして「幸せを求める」ようになっているのでしょうか。

それはこの赤ちゃんが生まれる前から、この赤ちゃんの「幸せ」を熱心に祈り準備してきた親がいたからです。

 

特にお母さんは「妊娠」した瞬間から食べ物を気を付けたり、身体の調子が悪くてもむやみに薬を飲まなかったり

生まれてくる子供のために「犠牲」となってくれているのです。

 

この様に生まれる前から自分の幸せの為に「犠牲」になって下さっている親がいるので、生まれながらにして

「幸せ」を求める様になっているのです。

 

ではその親はどのようにして生まれたか。

当然その親もその親がそのようにして生んで下さったのです。

 

その親子のつながりの中で「私」が誕生したのです。

 

ですからご先祖様の存在がどれ程ありがたいか、

 

子供の幸せの為に犠牲になりながら「親子」の関係で愛の絆が途切れることなくつながって私が生まれたのです。

 

ご先祖様を10代さかのぼると1024人の方々が私を生むために存在したのです。この中の誰一人かけても今の私は存在しません。

日本だけで考えてみても、戦争があったり、飢餓があったり、地震があったり、そんな時代を乗り越え、子供の幸せを願い、命を繋げて下さったご先祖様がおられたのです。

そう考えると「先祖供養」の大切さが分かってきます。

 

では、皆様の30代前のご先祖様をおられたでしょうか、50代前のご先祖様はおられたでしょうか。(いました!)

それを証明できますか?

 

難しですよね、証明することは。でもつながりという事を考えれば「私」が今ここに存在するということは、30代前も、50代前のご先祖様もいたという事です。

クローン人間などまだ存在していませんから。

 

そう考えると私を生み出した「一番初めのご先祖様」はおられたでしょうか?おられなかったでしょうか?

おられたはずですね

 

その方を「神様」と呼んでみたらどうでしょう。

 

私達「家庭連合」では神様の事を「天の父母様」と表現します。

一番初めのご先祖様。このように考えると「神様がおられる」「おられない」という論争はナンセンスだという事が理解できます。

 

「神様はおられる」という結論になるのです。

 

文先生はこの神様と私たちの関係をこのように言っておられます。「親子の関係である」。

 

神様と私たちの間には「親子関係」で途切れることなくつながっています。

 

親子親子親子親子

最大公約数的に考えると「親子」ということになります。ですから

私から直接神様を見て「親子だ」と言っても間違いではありません。

 

ここで少し、文先生の「幸福感」を紹介します。

「自叙伝」の中にこのように書かれています。

「山で飛び回っているうちに・・・父に背負われていった気分、何の心配もなく心がすっと安心できる気分、それこそがまさしく平和でした。」

 

この写真の様にお父さんにおんぶされている瞬間が「心配もなく安心できる」ひと時だったと言われます。

 

ですから私達が最高の「幸福感」「幸せ」を感じるためは

神様に背をわれている、神様におんぶされている、神様に抱かれている「実感」を一度でも持てばその方の人生は「最高の幸福感」を味わった人生となるはずです。

 

私達は皆さんに最高の人生を経験して頂くために、「神様に抱かれた」実感を持っていただくために「応援」させて頂きたいと思っています。

 

 

では、ここでも少し統計を紹介します。

「神様の存在」についての統計です。

 

世界主要60か国、全国18歳以上の1000名のサンプルから。

 

下に国の名前、青のグラフが「神様が存在する」、赤のグラフが「神様は存在しない」、黄のグラフが「わからない」です。

 

エジプトの方は100%神様の存在を信じておられます。・・・・

 

日本はどうか、とても特徴的なグラフがありますね、民族性が出ています。

「神様存在する約35%、存在しない約31%、わからない約34%でしょうか」中途半端と言えば中途半端ですね。

 

共産主義のロシアでさえ「存在する60%」もありますね。

日本は仏教国家なので創造主的な神観が薄い傾向にあります。

 

もう一つ統計を紹介しましょう。

 

経済成長と主観的幸福感の世界マップです。

右にあるほど「お金持ち」の国、上にあるほど「幸福感」が高い国です。

 

日本は右にありますから、経済的には豊かな国のグループに入っています。しかし、その中での幸福度は最下位です。

どの国の方と同じ幸福度かとうと(左に目線をずらして)フィリピンの方々と同じ幸福度です。

 

フィリピンは経済的には日本の5分の1ほどの経済力です。ではなぜフィリピンの方々は日本と同じ位の幸福度なのでしょうか。

色んな理由があると思いますが、一つ上げるなら、フィリピンは「キリスト教国家」だという事です。

「信仰」幸福度を上げていると考えることもできます。ですから日本も「神様」という神観をもっともてば「幸福度」ももっと上がる可能性がありますね。

 

では改めて「神様」について具体的に考えてみましょう。

どのようにして目に見えない神様を考えるか、一つの方法として「作者と作品」の関係で考えてみましょう。

 

作者と呼ばれる方は、画家にしろ陶芸家にしろ、自分の作品の「思い」や、「情熱」や、「メッセージ」などを込めて作品を作ります。

その作者の内的にものが込められた作品ほど人の心を魅了する作品となります。

 

私達はその作者が作成した作品をたくさん見たり、分析することによってその作者の内的なものを理解することがでます。

この内容で神様を理解してみましょう。

 

神様が創造されたものを作品とるつと、このような作品がありますね。

※簡単に二性性相の話から神様を証ます。

 

一つの文章であらわすとこのようになります。

 

神様は人格を持った、愛なる、父母なる神様。

 

この様に考えても神様を親だったという結論になります。

 

ちょっと話を変えて「霊界」についても考えてみましょう。

 

霊界は存在するか否か。

 

これも統計があります。

 

世界的には霊界の存在を認めている国が多いです。

 

結論的に「霊界は存在します」

 

神様が永遠に生きておられるとするなら、子供たる私達も神様と同じはずなので、霊界が存在しそこで永遠に生き続けるとなります。

 

神様が親だと「実感」できれば、この霊界の話は説明しなくとも、科学的に証明されなくとも、「実感」として霊界の存在を理解できるようになります。

 

そのように考えると私たちの人生は三段階になっています。

 

胎中生活280日、地上生活120年、霊界生活は「永遠」となっています。

この地上で生きて亡くなった方は全て「霊界」で生きておられます。

 

ですから皆様のご先祖様全て「霊界」で生きておられます。

 

では霊界でおられるご先祖様はどこに関心を持っておられるでしょうか?

写真にあるように地上でいる夫婦(親)は胎中の赤ちゃんにすごく関心があります。

 

少し動いただけでも感動します。またお腹の中の赤ちゃんはお父さんやお母さんの心の在り方、情の影響をすごく受ける時期でもあります。

胎教の重要性数十年前から言われ続けています。

 

霊界におられるご先祖様は地上にいる「子孫」にすごく関心があります。また、胎教にもあるように私たちはご先祖様の情の影響を受けています。

何気なく生活しているようですが、私たちは様々な霊界からの情の影響を受けて生活しています。

 

たとえは

夫婦仲の悪いご先祖様があの世におられて、「最近の子孫はどうしてるかな?」と地上の私達訪ねてきたとします。

その時そのご先祖様の情すなわち「夫婦仲が悪い」「夫に対しての恨み」「妻に対しての怒り」の波動を受けてしまします。

 

急に夫に対して怒りがこみ上げてきたり、妻に対して恨みがでてきたりします。

よく犯罪を犯した人の話の中に「自分じゃない!この辺りから(胸を押さえて)声が聞こえてー」などと言われる方がいますが、

それはまさに霊界からの影響を受けているのです。

 

また逆に

夫婦仲の良いご先祖様があの世におられて、「最近の子孫はどうしてるかな?」と地上の私達に訪ねてきたら、

急に夫が慕わしくなったり、急に妻に何かを買ってあげたくなるように気持ちがこみ上げてくるのです。

 

このような事も意識して私たちは生活しなければなりません。

 

次に神様との「親子関係」について考えてみましょう。

 

まず神様の「3つの願い」を話します。

 

親は子供の幸せを願います。ですから子供に色々というわけです。

「勉強しなさい」「野菜を食べなさい」「運動しなさい」など口を酸っぱくして言うわけて、

しかし、思春期の子供などはその親の言葉に対して「うるさい!」「だまってて」「お母さん嫌い」などと反発します。

それでも親は同じように「勉強しなさい」・・・と言います。

 

なぜでしょうか?

先ほども言いましたが、子供の幸せを願っているからですね。経験上親は「勉強」した方が「幸せになる確率が高くなる」

野菜を食べた方が健康になり幸せに暮らせる、そのような事を知っているので、嫌われても子供の幸せのために、

親が何度も何度も言います。最後には「お願いだから勉強して」とお願いまでします。親心です。

 

神様は親なので私達人間(子供)に対して、幸せになる為の秘訣「3つのお願い」をしました。

それは私達人間の親が子供に願うのと一緒です。

 

まず第一に「立派に成長しなさい」という事です。

独身の時代は体を使って家族の為、地域の為、社会の為、国家、世界の為に生きなさい。

これは我々の親も願う事です。このように生きるなら、その子供の人生が素晴らしいものになることを親は経験上知っているからです。

子供の幸せを考えて親は「立派になれ」というのです。それはどこから来るか、神様が人間を創造した時にそのように理想を持って創造されたからです。

別の言い方をすれば、そのように生きれば「宇宙」がその子供を応援するような、法則をもってこの世界を創造したという事です。

 

第二に「結婚して素晴らしい家庭を築いて欲しい」。

これも我々の親が願う事です。子供の結婚を願うのは世界共通です。(もちろん例外や事情がある場合もあるが)どこの世界にも「結婚儀式」は存在します。

 

「結婚は人生の墓場だ」という話もあるにも関わらず親は子供に結婚を願います。なぜか、それは独身では味わえない「幸せ」があるからに違いありません。

夫婦愛し合い、子供が誕生し共に成長していく中で、苦労もあるけれどそれに代えがたい「幸せ」「喜び」があるからこそ「結婚」するのです。

 

第三に「全人類が幸せになる為に頑張って欲しい」。

兄弟の中で一人苦労している兄弟がいたら、親としては苦しいです。他の兄弟に促して助けてあげて欲しいと願うのが親です。

もちろん親自身も助けますが、それ以上に兄弟姉妹同士が助け合っている姿をみる親はどれ程「幸福感」を感じるでしょうか。

 

神様も親でありますから、全人類が助け合って、誰しもが平等に豊かに安楽に生活している姿を望まれるのです。

だから、富んでいる国は、貧しい国を援助してあげることが宇宙の法則に合致した行為になり、ともに発展するように宇宙が応援するのです。

 

この3つの内容を神様は願われたのです。

このように生きれば必ず幸せな人生が送れるという事です。宇宙の法則がそうなっています。

ポイントは「為に生きる」という事です。

このように個人的に家庭的に世界的に為に生きれば何物にも代えがたい「幸福感」を味わえる人生を送れるのです。

 

ここでもう少しこの家庭という事について見てみたいと思います。

 

家庭を持って何をするか?

「愛を育てます」

 

家庭の中で4つの愛を育てます。

 

子女の愛、兄弟姉妹の愛、夫婦の愛、父母の愛、この4つの愛を育てます。

ここでポイントとなるのが子女の愛です

 

植物で例えるなら

子女の愛は「種」、兄弟嶋氏の愛は「芽」、夫婦の愛は「花」、父母の愛は「実」に例えることができます。

素晴らしい夫婦の愛の花を咲かせようと思うなら、種が重要です。素晴らしい種を親からもらえば素晴らしい花、夫婦の愛の花が咲くのです。

 

ですから、結婚や夫婦の愛には「親子関係」がとても重要になってきます。逆に言えば「親子関係」がよければ、努力は必要ですが、ほぼ自動的に素晴らしい結婚、家庭を築けます。

 

自分の(肉の)親子関係がもし悪ければ、まずその関係性を修復しなければなりません。もしお子さんが中々結婚できないと思わるなら、それは「私と子供」との関係にその原因があると思わなければなりません。

 

私達家庭連合ではこの親子の関係を修復しながら、最終的に神様と親子の関係を築いて、最高の愛の「種」、これを「真の愛の種」と表現しますが、この「真の愛の種」を相続して素晴らしい家庭を築いていただくまで皆さんを「応援」していきたいと思っています。

 

もう少し詳しく見てみましょう

 

子女の愛は反射的な愛です。これは愛されないと育まれない愛です。親から愛されて育まれます。逆に言えば愛されないと育まれない愛です。

大体3歳から4歳位までは溺愛に近い位愛を投入してあげなければなりません。愛のコップに満タンに愛を注いであげるようなイメージです。

 

そして

兄弟姉妹の愛に移っていきます。あふれだした愛のエネルギーを自分の弟や妹に注ごうとします。これが不足していると、弟の物を取ったり、叩いたりするのです。愛情不足なので弟から妹から補おうとするのです。

ですから、このような場面に出くわしたときは、お兄ちゃんが悪いのではなく私の愛情不足だったと悟らないといけないのです。

 

大きく成長していきながら、永遠の伴侶を見つけて結婚します。ここから夫婦の愛が育みます。この愛は利他的な愛です。相手が変わらない愛です。

子の愛は深める愛といいます。広げてはいけません。それは理解できますよね。隣の御主人を自分の夫のように愛してはいけませんね。他の愛は広めても大丈夫です。よその子を自分の子供の様に可愛がってもいいし、兄弟の様にせっしても大丈夫です。

この夫婦の愛は一番「強い愛」となります、大きな愛、広い愛という表現は父母の愛に適応されますが、強い愛はとなると夫婦の愛です。一番強いので、夫婦喧嘩をしていったん実家に帰ったとしても、落ち着けばまた夫が慕わしくなり自宅に帰ったりしますよね。

これがもし父母の愛の方が強いと実家にかえってしまうと二度と自宅には戻りたいと思わなくなります。

 

そして

父母の愛です。この愛は犠牲的な愛です。命を懸けても子供を愛そうとする愛です。また、子供を愛していく中で、自分も子供の頃このようにして親から愛されてきたんだなあと感じる世界がうまれます。そこでもう一度「親孝行したいな」という感情が生まれます。

ですから、一番最後に完成する愛は「子女の愛」です。家庭の中で愛されて、愛して、育っていくのです。家庭を持たなければ、結婚しなければ愛は育たないのです。

 

 

この様な愛を「神様の愛」「真の愛」と表現します。

 

先ほども言いましたが、愛の成長の中で一番重要なのが種である「子女の愛」です。ですから最高の子女の愛の種を頂くには、神様と親子の絆を結ぶことです。

 

では、親子とな何でしょうか?

血が繋がっている?これも親子関係を証明する一つの大事なことですね。

 

このような事もありますのね「産みの親より、育ての親」これはどうでしょうか?

 

心情的つながりも親子関係を証明する大事な要素ですね。いくら血が繋がっていても小さい頃に親から捨てられて、20歳になってからその親が現れて「私がお母さんよ」と言われても、素直に「お母さん!」と言って抱きつけないですね。

 

血のつながりと心情のつながり、これが親子の絆を語るうえでとても重要な要素なります

また、絶対的に自分の子供だと確信を持って言えるのは「母親」だけですね。自分から出てくるわけですから。これは母親の特権です。父親は疑おうと思えば疑えます。「顔が似てないな」とか、子供も生まれる瞬間は覚えていませんから、とりあえず一緒に生活している人を親だと思わないと生きていけないのでそのようにします。

母親だけです、確信をもっていえるのは。ですから、子供には母親の影響が強いのです。胎教などは当然ですが、生まれてからも母親の言動行動が子供に大きな影響を与えています。このことは頭のどこかにいれておいてくださいね。(女性の場合)

 

では、子供はどのようにして親を認識し、確信をもっていくのでしょうか?

 

皆さんにも親がおられますね、中には既に他界されている方もおられるかもしれませんが、いましたよね。

 

それでは、皆さんの親御さんが本当に自分の親であることを、この私に召命できるでしょうか?

 

「顔が似ている」 世界中に自分と顔が似ている人は確率的に3人はいるそうです。

「DNA鑑定」 小さい頃自分を捨てた親が、自分が20歳になったとき「DNA鑑定書」を持って、「私が親よ」と言ったとして親と認めますか?

 

実は

 

子供は生活の中で親と認識し認めていきます。

 

自分の為に毎日働いてくれる父、自分の為に毎日食事を準備してくれる母、病気になったら寝ずに看病してくれる父母

 

これだけ自分の為に「犠牲」になってくれるのは「親」以外考えられない!となったとき親と認識し確信をもつのです。

 

日々の生活の中で子供は親を実感していきます。逆に言えば親として認めてもらう為には子供の為に犠牲にならないといけません。

 

でも小さい子供はそんなこと意識しなくても「お父ちゃん、お母ちゃん」と言って慕ってくれますよ、という方もおられるかもしれませんが、それは誰かに頼らなければ生きられない時期においては嘘でもそのようにするのです。

自分で生きられる年齢になったら、何も犠牲になってくれなかった親をあっさりと捨てて、家を出ていってしまうようなことにもなってしまいます。

 

しっかりとご飯を作ってあげましょう。

 

話は変わって

 

ここにカレーライスがあります。お母さんが子供の誕生日に特別カレーを作りました。最高級のコシヒカリのお米、泉州玉ねぎ、熊野牛のカレー肉、○○のジャガイモなどなど。一生懸命に3日間かけて作りました。

 

これを子供の誕生日に「○○ちゃん誕生日おめでとう。今日のカレーは誕生日スペシャルカレーよ」と言って出してあげました。そのカレーを子供が嬉しそうに、美味しそうに食べ始めました。そして、「お母さんこのカレー本当に美味しい!ありがとう!」と言ってくれました。

その時お母さんはどんな気持ちになりますか。とても嬉しいですよね、そして「お替りもあるよ。実はプレゼントもあるんだよ」と言ってあげたくなりますよね。もっと何かをあげたくなりますよね。 では、次に

 

このカレーを料理してくれたのはお母さんですが、この具材は誰が育ててくれたのでしょうか、ジャガイモやニンジン、玉ねぎ、牛肉など。農家の方であり、牧畜業の方ですよね。

 

この子供が「お母さんこの玉ねぎ本当に美味しいね。とっても甘い!」「誰が作ったんだろうね」

お母さんが玉ねぎが入っていた袋を持ってきて調べると「泉州の大塚さんという農家の方が作ったみたいよ」と

すると子供が「僕その農家の人にお礼の手紙を書く!」

 

「大塚さん、おじさんが作った玉ねぎ本当に美味しかったです。ありがとうございました!」

こんな手紙を受け取った大塚さんはどのように思うでしょうか?

 

感動しますよね。そして奥さんに段ボールを持ってきてもらってそこに沢山の玉ねぎを入れて、その子供に送ってあげるのではないですか?

このような事ってあり得ますよね。

 

では更に

このカレーを料理したのはお母さん、具材を育てて下さったのは農家の方や牧畜業の方、ではこの具材そのものを創造されたのはどなたでしょうか?

 

神様ですよね。

ここで

「神様!この万物の恵みありがとうございます!」「本当に美味しいです!」と神様にお礼のお祈りをしたらどうでしょうか?

神様はどのように反応されるでしょうか?

 

喜ばれて、「そうかそうか、そんなに美味しいか?良く気づいてくれたね。お前たちの為に本当に丹精込めて創造したんだよ。気づいてくれてありがとう」と近づいてきてくださるのではないですか。

 

神様が近づいて下さることは、運勢が来ることですか?来ない事ですか?とても運勢がくるという事です。そして、「もっと欲しいものを言ってごらん。お前の為なら何でも準備してあげるよ」となるのではないですか。

そう考えると

 

太陽の恵み、四季折々の花々、小川のせせらぎ、私の周りにあるものは神様が一生懸命準備して下さった愛の贈り物であったことに気づくはずです。

 

そして、その当たり前のことに感謝すれば神様が愛の奇跡を起こして下さいます。

 

このような生活をしてきたのが、アメリカです。(アメリカの歴史を少しだけ話す)

 

ぜひ、明日から朝起きたら太陽の光を浴びながら、神様太陽の恵みをありがとうございます!と一日を出発してみてください。きっと幸福感に包まれると思います。

 

このようにしながら毎日神様に感謝する生活を通して、神様に抱かれている実感を持てるようになるはずです。一回でもそのような実感を持てばあなたの人生はかけがえのないものに変わっていくでしょう。

 

信仰というのは

 

私の解釈で申し訳ないですが、「神様と親子の絆を結ぶ」努力を日々することだと思っています。

 

信仰を持つということは、どこかの宗教団体に入信するという事だけでなく、このように日々生活をすることではないかと思います。