堕落から見た生心と肉心

ルーシェルは地上界を見た時に、アダムには相対がおり(エバ)永遠性を持っている、また万物世界を主管する事ができる事を知り、嫉妬心と愛の減少感を抱きました。ルーシェルは自分にはない肉身に対する過剰な欲望、すなわち人間世界における生存、繁殖、保護などに対する(肉心が司るところ)欲望を持ちました。これが引き金となってエバを誘惑し最終「偽りの愛」によって堕落線を越えてしまったのです。(図7)

一方エバはルーシェルからの誘惑により、自分の肉身(肉体)に対して過剰な欲望をもってしまい、最終「偽りの愛」によってルーシェルと共に堕落線を越えてしまったのです。(図8)

図7

図8



次にアダムとエバとの堕落について見ると、原理講論には「エバは、今からでも自分の原理的な相対者であるアダムと一体となることにより、再び神の前に立ち、堕落によって生じてきた恐怖心から逃れたいと願うその思いから、アダムを誘惑するようになった。これが、肉的堕落の動機となったのである。・・・」とあります。エバはアダムに対してこころを打ち明けたというよりは、涙を流しながら体を震わせて向かっていったのではないかと思われる。(図9)、それに対してアダムもエバの話をゆっくりと聴いてあげるというより、とにかく主体として震え涙するエバを救ってあげたいという思いからエバを抱き寄せてしまったのではないかと察することができます。この結果二人の間に「非原理的愛」が芽生え堕落線を越えてしまったのではないでしょうか。(図10)

このように「霊的堕落」と「肉的堕落」によってアダムとエバのこころの状態が肉心を主体としてしまう癖ができあがり、肉心も生心もサタンとなったルーシェルの拘束を受ける様になってしまい、神様の愛が感じられなくなっていったのではないでしょうか。またこの時ルーシェルは神様に対して神様、私は悪者になりました。しかし、どうして私が悪者になったか神様はご存知ですよね。あなたの愛が欲しくてこうなりました。愛されなかった恨み故です。」と自己正当化し神様を非難しました。この癖が私達の中にもあり常に「私は正しい」という思いがあるのです。(図11)

 

図9

図10

図11